蜜のあわれ

室生犀星という作家。

早死にする作家が多い中で、なおも生きながらえてしまった男。

映画は、妄想の金魚と遊ぶ主人公の老作家を描くことによって、原作作者・室生犀星の作家像を打ち出していた。

もうすぐ死ぬという告知を受けた老人。死への恐怖と淋しさが幽霊の女を呼び寄せ、金魚を人間の姿に変えたのだろう。光り輝かんばかりの幽霊・芥川龍之介(高良健吾)とは対極に、人間の終わりごろの生と性の醜さを魅せつけた大杉漣の迫力たるや。

生身の人間を抱こうとすることもある。勃起したことに喜び興奮する老人が、ひょんなことで失敗し、相手を罵って去っていくあさましさ。

彼には寝たきりの妻がいる。しかし、その姿は画面上に一切示されない。ただ音声のみが、それこそ亡霊のように、金魚とともにいる作家の幸せに水を差すのである。

幻想の中に逃げ込む男、それとも、あちらの世界に片足つっこんだ男だからか。

作家の周りには複数の女がいる。彼恋しさにこの世に舞い戻ってきた幽霊、老作家の手で温められ、次第に女になっていく金魚、どこか物淋しい女教師。

しかし、作家は、「お前たちを創ったのはこの私だ」と言う傲慢さで彼女たちを支配し、拒み、傷つける。そして女たちはそれぞれ去っていき、男は一人残され、迫りくる現実に弱弱しくしゃがみこむ。

一方、この映画のヒロイン・金魚である。踊ったり走ったり、クルクルと表情を変える無邪気な少女。あどけなさと妖艶さの両方を持つ、今の二階堂ふみにしかできない役だろう。

外の世界を知ることによって、金魚は日増しに自我を持つようになる。化粧しておめかしする彼女を嘲笑うかのように、鏡がその正体を露呈させる。鏡に映った彼女の顔が分裂し、無数の女の顔に変わる時、彼女は、作家の妄想によって創りだされた、かつて彼が愛した理想の女たちの集合体でしかないのだということを突きつけられるのである。

それなら、彼女の中で生まれつつある感情はなんなのだろう。作家の意思とは反対方向に、お人形から少女に、少女から女に、女から母親へと変化する彼女の自我は一体なんだと言うのだろうか。

その答えが、新聞紙にくるまれて動かないちっぽけな金魚なのだとしたら、あまりに残酷で、美しい。

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