エール!

歌を歌うのが好きだ。小さい頃は特に、誰もいない田舎道が私の劇場だった。

「美女と野獣」のベルになった気分で「いつかどこかに行きたい、この町の外へ」と歌っていた。踊ることは、残念ながら不器用すぎてできなかったのだけれど。

ポーラは、風を感じながら自転車で突っ走る。ウキウキした彼女の頭の中では、音楽が踊っている。

家族全員が聴覚障害を持つ中で、唯一聴く能力を持ち、並外れた歌唱能力を持つポーラ。家族の耳となり、声となる。本来なら聴き手のプロフェッショナルのはずの彼女に、人並み外れた表現の能力が担わされている。家族と過ごす日常において、彼女は手話やボディーランゲージを通して意思疎通を交わし、どんなに大声で叫んでも誰にも声が届かない世界に身を置いてきたと考えると、届かない想いを爆発させるために彼女の音楽は存在している。

ほぼ全員が聴覚障害を持つ家族の話というと、さぞかし暗い映画、慈愛に満ちた物語だろうという先入観があるが、彼らは実に明るくユニークだ。面白いのは、彼らの過剰な性の奔放さである。グラマラスな母親と市長選にも立候補する優しく頑固な父親は、ドクターストップを受けるほど昼夜問わず欲望のまま交わりあう。性への関心の強い思春期の弟もまた、手話を習いにきた姉の友人と関係し、小さな事件を起こす。彼らは、声で自分を表現する術を持たない分、全身で自分を表現し解放する術を知っているし、それによって愛を分かち合う術を持っているのだろう。

他の家族と違って、彼女が恋の快楽に目覚めるのは音楽を奏でることだったことからもわかるように、家族の中の唯一の常識人であるポーラの箍をはずすことができるのが、歌である。

歌うことによって自分を解放する術を徐々に身につけていくポーラに、観客は感情移入する。彼女にとって歌うことは、自由を手に入れることだ。だから、最後に決して届くことのない声を家族に向けて必死で投げかける彼女を見た時、自分自身が歌い、叫んでいるかのような爆発的な感動を覚え、涙が止まらなくなるのだろう。

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