0,5ミリ
冒頭。妙に晴れやかな母親と何を考えているかわからないジャージ姿の「息子」、そこになぜか加わる嘱託ヘルパー・サワという違和感ありまくりの食卓の構図。
森田芳光監督の『家族ゲーム』を思い出す。並んで食事をする家族と家庭教師。『家族ゲーム』の崩壊した家庭と『0,5ミリ』の冒頭の家庭は似ている。『家族ゲーム』の時代の家庭を脅かす脅威が家庭内暴力だったなら、『0,5ミリ』の時代である現代は高齢化と介護が脅威であると言える。
サワが押しかけ、世話をした老人達は、みんな幸せな表情に変わっていく。でも、彼女がいなくなった後、彼らは悟ったような表情を浮かべ、変えることのできない自分の末路を定めていくのだ。
彼女は無力なのか?
最初、0,5ミリというのは、サワが押しかけることによって老人達に起こった変化のことだと思っていた。だけど、0,5ミリとは、サワが老人や老人の家族にもらった、ワンピースや、車、100万円、失いつつある記憶を留めた1本のカセットテープのことなのではないか。
やりきれないままの0,5ミリを全て抱えて、1人の老人によって崩壊した家庭の呪縛から脱け出せない 、1人の少女を救うこと。
それが、彼女と老人たちが起こした「0,5ミリの革命」だったのだ。
0,5ミリ。たったそれだけ。
だけど、ものすごく大きな映画だった。
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