虚像の虚像『ファブリックの女王』


 北欧の人気ブランド「マリメッコ」の創業者、アルミ・ラティア。

 「ファブリックの女王」は、その輝かしい偉業を讃える映画ではない。

マリメッコのシンプルかつ華やかで可愛らしい絵柄から、お洒落なファッション映画を期待して映画を観た人は間違いなく呆気にとられるだろう。「マリメッコのイメージが崩れるからこんな映画見たくなかった!」と憤慨する人もいるかもしれない。

 夫が捧げたバラの花束をかみちぎって吐き捨てる。 

この映画から見てとれるアルミは、そんな自由奔放で身勝手でエキセントリックな女性だ。商売で関わる男性をことごとく敵とみなし、緊張と不安からアルコールに溺れ、自殺未遂を繰り返す。愛を求めれば求めるほど孤独になっていく。会社も自分自身も有名になり、華やかに微笑む裏で、家族や愛していた社員たちに距離を置かれ、孤独を極めていく彼女の姿は、映画のヒロインとして魅力的だ。ドラマチックで美しい、ある天才の肖像として。 

だが、この映画を私が面白いと感じたのは、ただ破天荒な女性の伝記だからではない。この映画は、アルミとアルミを演じる女優の物語だからだ。 

映画は暗い倉庫からはじまる。

椅子に腰掛けた女優が、アルミ・ラティアの死を語る。白い布に包まれた遺体のようなものが横たわった担架が通り過ぎる。

倉庫の入り口が開き、まばゆい光につつまれた後、女優はアルミ・ラティアに成り代わるのである。

そして、観客は、女優が演じる劇中劇としてアルミの人生を知る。女優がアルミを演じることを通して彼女を理解しようとする葛藤と共に、アルミ自身の葛藤が描かれる。

本物のアルミ・ラティアがどんな人物だったのかはわからない。あくまで私が知ったアルミの姿は、ある女優が演じた彼女の姿であり、実像ではない。

「彼女は演じることが好きだった」らしい。彼女もまた女優のようにアルミ自身を演じていたのだとしたら、その実像はどこにあるのだろう?

0コメント

  • 1000 / 1000