あの日のように抱きしめて

コチコチコチと、絶え間なくなり続ける音がある。時計の音だ。

その音は、過去に戻ろうとするネリーを、現在進行形で否定する。

本来、過去の継続が現在へと繋がる。つまり、過去と現在は一続きだと言っていい。しかし、ネリーの場合、そのような常識は通用しない。戦争によって過去と現在の間が完全に断絶されている。顔が変形するほどの傷を負い、人格を否定され続けたことによって、彼女は、彼女自身であったことを忘れさせられた。歌手として華やかに生きていた過去は、現在のネリーにとって別人であり、夫から与えられる衣装や靴、化粧道具によって、ネリーという歌手をぎこちなく演じるのである。

ネリーは、過去のマネをし、自分自身を取り戻していくかのように錯覚する。夫が自分にしたことへの疑惑に蓋をし、夫との関係も自分自身も元通りになると信じようとする。

彼女が全てを悟った上で「スピーク・ロウ」を歌うとき、それまでのように夫のために過去を演じるのではなく、自分のために自分自身の愛を吐き出したのだ。

この映画は、過去を追憶し取り戻す物語ではない。

冒頭、包帯でぐるぐる巻きにされたネリーを乗せた車は、トンネルの中に入っていく。光にも見える白い靄に包まれるように。

この映画は、彼女が、過去でも現在でもない、新しいネリーとして生きていくための彷徨の時間を示したものだった。 

映画雑感ー本屋時々映画とドラマ

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